多発性嚢胞腎が原疾患で透析に入って24年です。

by マーゴ

<   2014年 06月 ( 2 )   > この月の画像一覧

未だ、パートナーの不在が受け入れられない、納得できない。
私より元気で、不死身のように頑健だったのに。
ただ、タバコの喫い過ぎが心配の種ではあったのだけど。
繰り返し繰り返し禁煙の約束をしながら、
やっとこさ、自ら今年の1月1日からタバコを止めた
との報告はして貰ってはいたけれど・・・・・・
彼の不在が、辛くて、切なくて、人生でこれほどまでに
悲劇的なことに遭遇したことは無い。
特に、勘が鋭いと自負していた私の不覚に、
罪悪感を禁じえなくてどんなに謝罪しても、後の祭り。
身の置き所も無い苦しさに喘いでいる。
それは、1月8日午前8時20分、私が入院中のベッドサイドで
携帯が鳴り、相手を確認せずに電話に出た。
相手は一語一語ゆっくりと話しかけてきた。
ところが何を言っているのかさっぱり判らないので
イタズラ電話だと思い込んで途中で切ってしまったのだ。
このことたけは、妙に記憶している。
そして、1月11日に、パートナーが亡くなっているとの連絡があり、どのようにして、自宅に帰ったのか記憶が定かではないのだが、
警察官と亡くなった日を確認する手続きをする際に
パートナーの携帯の履歴を見せられた。
履歴の発信は
1/8 8:20 私宛
着信の履歴は
1/8 8:21 私からパートナー宛
になっていて、私がパートナーに電話した記憶は
無かったのだが、
死亡時間は1月8日午前8時半頃推定となってしまった。
ところが私の退院する日(2/16)に、
姫井由美子さんが送ってきてくれて、
パートナーの携帯をチェックしてくれて、「10日に電話してる」、と素っ頓狂な声を上げた。
私は「8日に亡くなっているのに、
警察官が電話したんでしょ」なんて呑気なことを言っていた。
後になって警察官が来ていたのは11日で、
10日には来てないと気付いた。
しかし、パートナーの携帯を見るのが怖くて
気にはなっているけれど、見ないままで過ごしていた。
最近になってようやく見る気持ちになって、
充電をして見ると、
姫井さんが言った通り1月10日の
16:41・16:44・16:45・17:40の4回4人に
発信履歴が残っていた。
私に電話があったときから1月10日の17時40分までのあいだに意識を失くしたり、
覚醒したりと意識の混濁があって、
どんなに心細くて苦しい時間を費やしていたのか
想像すると、
なんで、私が早く自宅に戻らなかったかと
悔やまれて悔やまれて。
10日に妹に電話したときは、まだ充分生存していのだ!!
妹に任せず、私が帰っていたら、
救急車で病院に運べていたのに。
もしかしたら、助かっていたかもしれないのに。
私が見殺しにしてしまった!!!!!!
どんなに悔やんでも悔やんでも、
仏壇の前で謝っても、もはや届かない。

命日が8日でなく、10日以降11日未明ということになる。
検死官は死亡日の特定も出来ないんだ。
私が、もっと注意深く慎重に振る舞えていたら
こんな間違いは防げたのにと思うけれど、
亡くなっているとの報告を受けてから
余りに突然のことで、茫然自失状態に陥っていたから
駆けつけてきてくれていた弟と妹の言われるがままに
動いていたのだろう。

ごめんなさい、ごめんなさい。
本当にゴメンナサイ。
[PR]
by noblesse_oblige7 | 2014-06-22 16:52 | 最愛のパートナー | Comments(2)
私独りを残して・・・・・・
昨年末に体調を崩して、おまけにちょっと油断していて
12/22(日)より、腹痛・発熱そしてCRP上昇のいつものパターン。
1週間もすれば治るわと高をくくったのが災いして、
CRPがどんどん上昇して治る気配がない。
CRPが20を超えて入院したくても、いつもの岡山医療センターは
年末で入院させてもらえず、やっと入院を許されたのは1月2日でS病院。
とにかく入院できただけでも幸い。
パートナーに連絡して、来てもらった。彼の不調な気配を全然見抜けなかった。
更に、6日も来てくれた。
8日、9日、10日と電話連絡しても、反応がなく、10日にたまらなくなって
大阪の妹に連絡して、家を見てきてくれと。
来たのは11日。
パートナーが亡くなっているとの連絡で、急遽 自宅に帰った。
警察・検死官・その他何人かの人が自宅にいて、右往左往している。
何がどうなったのか、記憶が定かではないけれど
警察の人が心不全だと。
私は、心筋梗塞を疑った。タバコに殺されたのだ! !
1月1日から止めたのだと6日に見舞いにきたとき言っていたけれど、
既に手遅れだったのだ。
父がかって心筋梗塞で倒れ、ベットの上で煙草を止めるからなと言っていたときと同じだ。
時既に遅しなのだ。
ベッドに寝かされたパートナーと対面した。
なんで・・・・・・・・
翌日(1/12)簡単な葬式をすませて、遺骨を抱いて入院先のS病院に帰った。
誰もいない、自宅に遺骨をおいておくのは忍びなかったのだ。
S病院では、私のCRP上昇にはよく効くパシルという抗生剤を使用してもらえず、
ダラダラと日々が過ぎてゆくだけだった。
こんなではいけないと、自分で岡山医療センターの担当ドクターに
自ら電話をして、入院させて欲しいと頼んだ。
やっと1月24日に入院許可が下りて、大喜びで転院した。
ここにも、密かに、パートナーの遺骨を忍ばせていた。
転院して2・3日して、心臓カテーテルをしている最中に
気を失った。どれくらいの時間気を失っていたのか
誰も教えてくれなかったが、気がついたときは、主治医が顔をのぞいていて
何も覚えていないの?と訊かれ、
心臓カテーテルをしていたことは覚えているけれど、と応えた。
タコツボ心筋症だとのこと。
後で調べたのだけれど、大震災後などでショックを受けたりストレスで
起きるのだそうだ。女性に多い症状とのこと。
私の場合、パートナーの突然死の影響だったのだろう。
元気に見えたパートナーが亡くなって、世の中の役に立っていない
透析者の私が生きているのは、何かおかしいのではないだろうか?
彼の方がこれからも世の中のために大いに役立つ人物で、
これからだと張り切っていたのに。
なんで・・・・・・・
半年が過ぎようとしているのに、毎日独りになると大声を上げて哭いている。
これから独りでどう過ごしていいのか判らない。
ダンディでお洒落で、いつまでも若々しく茶目っ気を失わず、
最愛のパートナーだったのに。

私が退院できたのは2月16日。
独りぼっちの家で遺影を眺めていたら、涙が込み上げてくる。
思い出すだけでも涙が溢れる・・・・・・
寂しくて寂しくて、辛い辛い日々をこれから何年続ければいいのやら。
100歳まで二人で生きようと言っていたのに。
もう100歳まで生きる気持ちは失せてしまった。
[PR]
by noblesse_oblige7 | 2014-06-04 19:43 | 最愛のパートナー | Comments(4)