多発性嚢胞腎が原疾患で透析に入って25年です。

by マーゴ

カテゴリ:最愛のパートナー( 5 )

ここ1ヶ月ほど体調がすぐれず、ついに6月27(土曜)には
最悪になり、抗生剤メロペン点滴になった。
私としては、メロペンよりパシルをお願いしたいのだ。

日曜日には全身筋肉痛・発熱・腹痛と戦いながら、
友人に食料を調達してきてもらい、
なんとか流動食をお腹に流しこんで
長〜く感じる1日をしのいだ。

6月29日・月曜日、パートナーに車で送ってもらえないから、
自力で透析施設に向かうしかない。
1時間かけて透析施設に着いた。
CRPは13に上昇していた。
やはり、パシルでないと。
これまで何回もパシルを要望していても叶えてもらえなかった。
なんでパシルを使ってもらえないのか、
院長に返事をもらいたいとスタッフに強硬に頼んだ。

どうも、これまでは院長に届かないてスタッフ止まりに
なっていたのではないかと怪しむ。
翌日火曜日からパシルを使用してもらえることになった。

6月30日(火曜日)、いよいよパシル使用開始。
安堵感もあってか、木曜日にはCRP5にさがり、
土曜日にはCRP3に下がってきた。
本日7月5日(日曜日)には、朝、walkingでも行こうと
いう気分になって久振りに元気よくwalkingしてきた。
雨の予想が見事に裏切られて、太陽が顔を出したりしたが
蒸し暑い天気で相変わらずの梅雨シーズンの終了を
全然予感させない。

それにつけても、田んぼに白鷺はよく似合うのに、
あまり飛来してきてない。田んぼに農薬が撒かれているんだろうなぁ。。。
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パートナーに対する喪失感は、未だに消えないままに、
毎日毎日、泣いて暮らしている。
父が母を亡くして、3年経っても、
仏壇の前にいた私に
「寂しいのう。。。。なんの楽しいことはない。。。」
と呟いたのを聞いて、心の中で、
私が来ているのにと不満な気分だったが、
今では、父の気持ちが痛烈に理解できる。
パートナーの思い出を書きたいのだけれど、
涙が溢れて未だに書くことができない。。。。。

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by noblesse_oblige7 | 2015-07-05 17:48 | 最愛のパートナー | Comments(0)
かっては、大学時代だったかな?唯物史観の時代もあったのに・・・・天国って何処にあるの?西方浄土って?極楽は?地獄は?アナタはどこにいるの?誰も、逝ったら還ってこないもんね。宗教家はいろいろ言うけれど、どんなに修行を積んでいても、実際の体験者はいないのだから・・・・・呼べども、叫んでも、返事はない。いつも二人でいたから、一人は耐えられない。もう悲痛は通り超して、悲痛の先はなんだろう???
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by noblesse_oblige7 | 2015-04-29 17:45 | 最愛のパートナー | Comments(0)

寂寥感に打ちひしがれて

家の隅々までに、私が出かける道筋ごとに彼との思い出が駆け巡り、
身の置き所のない寂しさに包まれて、日々を過ごさなければならない。
いっそのこと、私が彼の元に逝ったらせいせいするのかも。
しかし、その勇気もないままに、ウジウジと日々をやり過ごしている。
彼の霊魂(たましい)の所在を求めるものの、
科学的には証明されてないもどかしさ。
NHKで立花隆が自ら脳死体験を試みていたが、
理解不能のままで番組が終わった。
愛する人を、その想いも伝えられないままに結核で亡くして、
霊魂の所在を求めて、あの民俗学者の柳田國男の
「遠野物語」ができたのだと、NHKでなんの番組が忘れたけれど、
放送していた。
柳田国男でさえ、愛した人の霊魂の所在を求めたのだから、
みんな一緒なのだろう。
彼の思い出を縷々綴りたいのだけれど、涙が溢れて、
本日はこれ以上書けない・・・・・・
また後日に譲ろう、いつ書けるのやら・・・・・

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by noblesse_oblige7 | 2014-11-14 19:36 | 最愛のパートナー | Comments(0)
未だ、パートナーの不在が受け入れられない、納得できない。
私より元気で、不死身のように頑健だったのに。
ただ、タバコの喫い過ぎが心配の種ではあったのだけど。
繰り返し繰り返し禁煙の約束をしながら、
やっとこさ、自ら今年の1月1日からタバコを止めた
との報告はして貰ってはいたけれど・・・・・・
彼の不在が、辛くて、切なくて、人生でこれほどまでに
悲劇的なことに遭遇したことは無い。
特に、勘が鋭いと自負していた私の不覚に、
罪悪感を禁じえなくてどんなに謝罪しても、後の祭り。
身の置き所も無い苦しさに喘いでいる。
それは、1月8日午前8時20分、私が入院中のベッドサイドで
携帯が鳴り、相手を確認せずに電話に出た。
相手は一語一語ゆっくりと話しかけてきた。
ところが何を言っているのかさっぱり判らないので
イタズラ電話だと思い込んで途中で切ってしまったのだ。
このことたけは、妙に記憶している。
そして、1月11日に、パートナーが亡くなっているとの連絡があり、どのようにして、自宅に帰ったのか記憶が定かではないのだが、
警察官と亡くなった日を確認する手続きをする際に
パートナーの携帯の履歴を見せられた。
履歴の発信は
1/8 8:20 私宛
着信の履歴は
1/8 8:21 私からパートナー宛
になっていて、私がパートナーに電話した記憶は
無かったのだが、
死亡時間は1月8日午前8時半頃推定となってしまった。
ところが私の退院する日(2/16)に、
姫井由美子さんが送ってきてくれて、
パートナーの携帯をチェックしてくれて、「10日に電話してる」、と素っ頓狂な声を上げた。
私は「8日に亡くなっているのに、
警察官が電話したんでしょ」なんて呑気なことを言っていた。
後になって警察官が来ていたのは11日で、
10日には来てないと気付いた。
しかし、パートナーの携帯を見るのが怖くて
気にはなっているけれど、見ないままで過ごしていた。
最近になってようやく見る気持ちになって、
充電をして見ると、
姫井さんが言った通り1月10日の
16:41・16:44・16:45・17:40の4回4人に
発信履歴が残っていた。
私に電話があったときから1月10日の17時40分までのあいだに意識を失くしたり、
覚醒したりと意識の混濁があって、
どんなに心細くて苦しい時間を費やしていたのか
想像すると、
なんで、私が早く自宅に戻らなかったかと
悔やまれて悔やまれて。
10日に妹に電話したときは、まだ充分生存していのだ!!
妹に任せず、私が帰っていたら、
救急車で病院に運べていたのに。
もしかしたら、助かっていたかもしれないのに。
私が見殺しにしてしまった!!!!!!
どんなに悔やんでも悔やんでも、
仏壇の前で謝っても、もはや届かない。

命日が8日でなく、10日以降11日未明ということになる。
検死官は死亡日の特定も出来ないんだ。
私が、もっと注意深く慎重に振る舞えていたら
こんな間違いは防げたのにと思うけれど、
亡くなっているとの報告を受けてから
余りに突然のことで、茫然自失状態に陥っていたから
駆けつけてきてくれていた弟と妹の言われるがままに
動いていたのだろう。

ごめんなさい、ごめんなさい。
本当にゴメンナサイ。
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by noblesse_oblige7 | 2014-06-22 16:52 | 最愛のパートナー | Comments(2)
私独りを残して・・・・・・
昨年末に体調を崩して、おまけにちょっと油断していて
12/22(日)より、腹痛・発熱そしてCRP上昇のいつものパターン。
1週間もすれば治るわと高をくくったのが災いして、
CRPがどんどん上昇して治る気配がない。
CRPが20を超えて入院したくても、いつもの岡山医療センターは
年末で入院させてもらえず、やっと入院を許されたのは1月2日でS病院。
とにかく入院できただけでも幸い。
パートナーに連絡して、来てもらった。彼の不調な気配を全然見抜けなかった。
更に、6日も来てくれた。
8日、9日、10日と電話連絡しても、反応がなく、10日にたまらなくなって
大阪の妹に連絡して、家を見てきてくれと。
来たのは11日。
パートナーが亡くなっているとの連絡で、急遽 自宅に帰った。
警察・検死官・その他何人かの人が自宅にいて、右往左往している。
何がどうなったのか、記憶が定かではないけれど
警察の人が心不全だと。
私は、心筋梗塞を疑った。タバコに殺されたのだ! !
1月1日から止めたのだと6日に見舞いにきたとき言っていたけれど、
既に手遅れだったのだ。
父がかって心筋梗塞で倒れ、ベットの上で煙草を止めるからなと言っていたときと同じだ。
時既に遅しなのだ。
ベッドに寝かされたパートナーと対面した。
なんで・・・・・・・・
翌日(1/12)簡単な葬式をすませて、遺骨を抱いて入院先のS病院に帰った。
誰もいない、自宅に遺骨をおいておくのは忍びなかったのだ。
S病院では、私のCRP上昇にはよく効くパシルという抗生剤を使用してもらえず、
ダラダラと日々が過ぎてゆくだけだった。
こんなではいけないと、自分で岡山医療センターの担当ドクターに
自ら電話をして、入院させて欲しいと頼んだ。
やっと1月24日に入院許可が下りて、大喜びで転院した。
ここにも、密かに、パートナーの遺骨を忍ばせていた。
転院して2・3日して、心臓カテーテルをしている最中に
気を失った。どれくらいの時間気を失っていたのか
誰も教えてくれなかったが、気がついたときは、主治医が顔をのぞいていて
何も覚えていないの?と訊かれ、
心臓カテーテルをしていたことは覚えているけれど、と応えた。
タコツボ心筋症だとのこと。
後で調べたのだけれど、大震災後などでショックを受けたりストレスで
起きるのだそうだ。女性に多い症状とのこと。
私の場合、パートナーの突然死の影響だったのだろう。
元気に見えたパートナーが亡くなって、世の中の役に立っていない
透析者の私が生きているのは、何かおかしいのではないだろうか?
彼の方がこれからも世の中のために大いに役立つ人物で、
これからだと張り切っていたのに。
なんで・・・・・・・
半年が過ぎようとしているのに、毎日独りになると大声を上げて哭いている。
これから独りでどう過ごしていいのか判らない。
ダンディでお洒落で、いつまでも若々しく茶目っ気を失わず、
最愛のパートナーだったのに。

私が退院できたのは2月16日。
独りぼっちの家で遺影を眺めていたら、涙が込み上げてくる。
思い出すだけでも涙が溢れる・・・・・・
寂しくて寂しくて、辛い辛い日々をこれから何年続ければいいのやら。
100歳まで二人で生きようと言っていたのに。
もう100歳まで生きる気持ちは失せてしまった。
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by noblesse_oblige7 | 2014-06-04 19:43 | 最愛のパートナー | Comments(4)