多発性嚢胞腎が原疾患で透析に入って25年です。

by マーゴ

カテゴリ:訃報( 3 )

池田大作が亡くなった!?

という噂が、ネットで流れていますが、本当かな?
North Koreaの金正日の死亡説が
出たり入ったりしているのと同じかな?
こういう噂は、意図とか陰謀が潜んでいるのでしょうか?
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by noblesse_oblige7 | 2009-07-26 19:39 | 訃報 | Comments(4)
9/30 加筆(とは言わないかな。加打?)
書かねばとの思いに急かれ過ぎて、端折って書いてしまって、
物足りないのです。

お亡くなりにならはったのは、平成19年7月30日。
朝、お出かけになろうとしたとき、気分が悪くなり
そのまま急逝されたそうです。
物凄く責任感が強かった。
白鷺病院で、勤務医をしてはったとき、
年の瀬が押し迫ったある日、
平中ドクターが回診してはった。
電話がかかってきて、話しているのが聴こえてきた。
「それは、どうしてもいるので、ボクが建て替えるから
いれておいてほしい」というようなことを、
いささか苛ついた声で喋ってはった。
はぁ。。。。
手術か何かで必要なものがあるのだ。
けれども経理が年末だから、稟議書が間に合わないから、
来年にしてくれとかの電話やねんな。と、
勝手に推察していた。

また、阪神淡路大震災のあった日。
その日は、シャント入院してソケイ部に入れてあった
ダブルルーメンを抜く予定の日だった。
朝、見知らないドクターがやってきて、
恐怖に包まれていたのに、サット、なんとも簡単に抜いてくれはった。
やがて、その日の午後3時頃だったか、
平中ドクターが病室に現れた。
地震の被害が多かった宝塚に住んではったのではなかったかしら?
阪急電車もJRも動いていたのかしら?
道路なんかどうなっていたのやら?
ご自身のお家は?
そんなことは、後で考えたことで、そのときは私の頭も殆ど働いてなかった。
「ダブルルーメン、抜こか?」
えっ?知らないの?なんで?と、心の奥で呟いただけ。
「誰かしらない先生が来られて、抜いてくれはった」
「そうか。。。。」と、応じて、部屋を出ていかはった。
ダブルルーメンを抜くために、来てくれはったんや。
もちろん、他の大事な仕事もあったのかもしれないけれど。
ことほど左様に、責任感が強いドクターだったから
平成17年4月、大阪バスキュラーアクセスセンター平中診療所を
開所されて、わずか2年3ヶ月だったけれど、
今度は経営者としての責任も加わって、別の心労もあったのかも。
今年の4月16日に受診に行ったとき、
見違えるほどに顔貌が変化していて、もう吃驚して
「せんせ、病気?!」
「マーゴさん、さすがに鋭い」と、看護婦さん。
「鋭いもなんも、誰だって解るわ」と、心の中でだけ毒づく。
「2週間ほど入院してたんや」と、平中ドクター。
「なんでぇ????」
「疲労」と、看護婦さんが代わりに応えた。
私の頭の中は、?????????だらけ。
けれども、それ以上は黙していた。


最初にお会いしたのは、平成6年12月16日。
シャント手術やりなおし(合計で7回目)
に詳細を書いています。
平成3年4月10日に導入していますから、
3年と8ヶ月で最初のシャントが潰れた計算になる。
その頃の平中ドクターは、まだ駆出しのシャントドクターだった。
それでも、近隣からシャント手術に来られる人は多かった。
「ボク、シャントの権威になるんや」と、仰有った。
心臓外科から転身して来られて、確か5年目と仰有ったように覚えているが、
転身されたのは、私が、導入したのと一緒頃との記憶もある。
どっちにしろ、5年未満だったのだろう。
言葉通り、いつの間にか権威になってはった。
以来、平中ドクターとのご縁は切れなかった。
透析施設は、数多く転院を繰返してはいたけれど。
シャントトラブルは、必ず平中ドクターのところへ行っていた。

平中ドクターの方は、もうあちらこちらからシャントトラブルの人が
紹介で来られて、数多くのシャントを診はって、
その手術のまずさに、呆れ果てていてはったのだろう。
おまけに、私の転院の多さにも、笑って、
「医者はブランドと、違うよ!」と。
もちろん、出身大学のことを言っているのだとは察しがついていた。

転院を繰返すごとに、転院先の外科系の院長は学会でご一緒しはったら
平中ドクターにご挨拶しといたよと、私に報告が入っていた。
これには、ちょっと私は良い気分になっていました。
岡山に転居した時、岡山のドクターがPTAはしてあげるよ。
と、言ったと伝えたら、「愛情が違う」と応じはった。
見事な応酬で、グーの音もでず、大阪に通うことになった。

時を経て、同時期に人工血管を挿入した人が、ドンドン閉塞している中、
私の人工血管は3年持てば御の字ということでしたが、
なんとかもっていて、やがて吻合部の狭窄は、
風船で膨らますPTAが普及して、現在に至ってます。
そんなある日、私の人工血管の寿命の長さを計算して、
「マーゴさんの人工血管がもってくれて、ボクも助かってんのや」って。
私には、意味が解らなかったのですが、
「ええことやねんから、しつこく訊くこともないねんや」と、
心の中で呟いておきました。
平中ドクターの前では、心の中で呟くことが多いのは
導入してくれはったドクターが、
平中ドクターに
「マーゴさんは、うるさいでっしゃろ、と言っといたで」と、
笑っていたからだ。
もう、そんなふうに思ってはったのか?と、私はプンプン。
で、発言を遠慮してたのだ。
「平中せんせ、知らんかったでしょう????」

お酒は、嗜まれないということでした。
ワインだけは飲むと、言ってはったけど。
どんな趣味をお持ちなのかと思っていたら、
休暇を取られて、屋久島の宮之浦岳に登ってきたのだと。
九州一の高峰、宮之浦岳。
仕事の鬼時代に、屋久島には度々行っていたことがあるので
私は、よく知っていました。しかし、普通は日本アルプスが定番なのに
なんで?と思いましたが、口には出しませんでした。
今になると、聞いておけばよかったな。

ご自分が製作したシャントは、一番に穿刺して確かめられます。
つくりっぱなしが多いのに。

私がシャントトラブルで困っている時は、
「ボクも困っているんだ」と。
「お助けマンにすがりついているのに、
そんなこと言わんといてほしい」と、私。
最近は、PTAの繰り返しで、
平中ドクターに手術して戴くことがなくなってましたが、
吻合部を人工血管に取り替えるかもしれなかったのに、
もう、お目にかかることが出来なくなって
本当に悲しい。

天国の高峰をあちらこちら制覇して下さいませ。
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by noblesse_oblige7 | 2007-09-28 19:16 | 訃報 | Comments(4)

平中先生が!?

Commented by シャントマエストロになりたい at 2007-09-07 22:06 x

はじめまして、平中先生が突然この世を去られたと訃報をきき、大阪の患者様などがいかがされているか心配になり検索中にあなた様のページにヒットしました。香川県観音寺市の病院勤務です。
平中先生ほどではありませんが、小生もシャントや人工血管、インターベンション(風船で膨らますアレのこと)などを生業に行っております。がんばって生きる姿とこのホームページの美しいものや病気の苦悩を少しだけ感じたので応援メッセージです。これからもがんばってください。シャントもしお困りでしたらメールください。


古い記事にコメントして下さっていたので、
発見が、たった今になってしまいました。

シャントマエストロになりたいさん !
教えて下さって有難うございます。

前回、PTA(7/6)に行った時、平中先生に
「疲労で入院されたのではないでしょう」と、問うと
「実は、心不全だった」
「心臓のせんせが、心臓悪くするの?」
「大体、自分の専門分野を悪くするもんなんや」って。
それ以上追求しなかったけれど、私は内心不安だった。
すでに、シャント手術は再開してらしたけれど、大丈夫なのかしら・・・と。

白鷺病院の時から、PTAは中村先生にお任せで、
大阪バスキュラーアクセスセンターを開院しはってからは
中山先生にお任せで、私は診察だけしてもらっていたのだけれど。
もしかしたら、人工血管の吻合部の狭窄部を
人工血管で繋ぐかもしれないことになっていた。
まだ健康的には不安の状態で、そういう話は避けていた。

月曜日に電話してみよう。

高齢のドクターがシャントの手術に失敗して
私より若いせんせを紹介してと、導入病院のドクターに泣きついて
平中先生を紹介してもらったのに。
先に逝くなんて。
とても責任感の強いドクターだったから
無理がたたったのやろな。
ご冥福をお祈りします。




シャントマエストロになりたいさんは、
もしかして、開院時、平中先生のところに短期間来られていて
中山先生の指導をしてらしたドクターですか?
私は、PTAしていただいたのですが。
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by noblesse_oblige7 | 2007-09-09 20:53 | 訃報 | Comments(6)